はじめに
この前、母校で面白そうなワークショップが開かれていたので参加しました。
題名は「漬ける、さらす、醸すー日本・チベット・マレーシアの食実践からみる地域・環境・暮らし」です。
仕事を早上がりして参加しましたが、どの内容もとても興味深い&面白かったです。
せっかくなので、軽くまとめたいと思います。
内容まとめ
このワークショップでは、発酵食品(意図せず発酵したものも含みます)を主題として、日本・チベット・マレーシアそれぞれの文化を研究する3名の教授・准教授が知見を共有してくれました。
なお、いずれも私のメモ書きから起こしたもののため、細かな誤り等があるかもしれません。
ご了承ください。
① 漬物から微生物との関係を考える (木村あや 教授)
微生物とのかかわりにおける現代社会の特徴として「Antibiotic Turn(抗生物質の時代:微生物を根絶・管理しようとする姿勢)」があるとし、日本の漬物の歴史と現状からその弊害を考察していました。
- 漬物の工業化と帝国主義
- 19世紀後半、軍隊や工場へ安く効率的に食糧を供給するため、漬物の工業化が開始。
- 帝国主義の拡大とともに保存性・携帯性に優れる漬物の缶詰化が進み、漬物における Antibiotic Turn の第一歩につながる。
- 戦後の流通革命と「非発酵化」
- 戦後、スーパーマーケットの拡がりに伴って個別包装・セルフサービスが一般化。
- 本来の発酵漬物はガスが発生して個別包装に向かないため、これを防ぐために加熱殺菌(パスチャリゼーション)が行われるようになった。
- 現在の売り上げベースでも、発酵を伴わない浅漬けや日本型キムチ(塩蔵野菜にタレを絡めたもの)がトップ。
- 「臭い・グロテスク」という感覚とジェンダー
- 現代人は、発酵による乳酸臭などを不快と感じることが多い(Sensing Cultureの変化)。
- 近現代的な「管理された身体」を理想とする価値観において、発酵は女性の身体的特徴(月経など)と結びつけられ、グロテスクなものとして忌避される傾向(スティグマ化)がある。
- 脱臭された発酵と見えないコスト
- カゴメの「ラブレ」(京都のすぐきから分離された乳酸菌を使用)のように、菌だけを抽出した脱臭・工業化された商品はヒットする一方、伝統的な漬物業者は苦境にある。
- 現代の非発酵漬物は、石油由来のプラスチック包装や常に冷蔵を要するコールドチェーンなど、多大な環境・エネルギーコストの上に成り立っている。
消費の側面だけでなく、環境面、社会面など様々な観点からあるべき姿を考える必要がある。
揶揄ではなく純粋な感想として、漬物ひとつとってもここまで深く理解・考察するべき要素があるというのが驚きです。
まさにアカデミックと言える営みを目の当たりにして、たいへん刺激的でした。
ちなみに、漬物の缶詰というのは聞いたことがなかったのですが、現在でも存在するみたいです。
つくづく、軍事・産業というものは(良くも悪くも、多くの場合は悪い形で)既存の形態を変容させますね。
なお、このワークショップに関するより詳細かつ広範な内容は、教授が最近出版した下記の書籍(英語)で読めるとのことです。英語か…ちょっと難しいかもな…(英語のできない元英語科)

② 虫がわくほどうまい?―チベット・ヒマラヤの腐れチーズ(星泉 教授)
高山地帯における貴重なたんぱく源であり、穀物を美味しく食べるための調味料でもある伝統的な熟成チーズの多様性と存続の危機についての報告です。
- 熟成チーズの役割と分布
- チベットのチーズには、ポピュラーな非熟成タイプ(チュシなど)と、調味料として使われる比較的マイナーな熟成タイプがある。なお、どちらも基本的に無塩。
- 熟成チーズは分布域が限られており、納豆や豆鼓(トウチ)などのアジアの発酵文化圏と近い。このことから、人々の移動や交流の歴史を解き明かす鍵になる可能性がうかがえる。
- 多様な製法と虫湧きへの共通認識
- ネパール北中部の「ショショ」: 密封して熟成させるタイプ。発酵が進みすぎないように途中で冷蔵することが多いが、半年ほど常温に放置するケースもある。
常温に放置するタイプは強烈な酪酸臭があり、ハエやウジが湧く(!)。冬に虫が死滅した後、丸ごとすりつぶして食べる(‼)。 - チベット高原南東部の「チュリュ」: フレッシュチーズを革袋に入れ、牛小屋などの冷暗所に数ヶ月放置し、自然に菌を繁殖させるタイプ。
正体不明の小さな虫が湧くため、食べる前に30分ほど煮込んでシチューなどに使う。 - 現地には「虫が湧いているほど美味しい(旨味やコクが出る)」という共通の価値観が存在。
- ネパール北中部の「ショショ」: 密封して熟成させるタイプ。発酵が進みすぎないように途中で冷蔵することが多いが、半年ほど常温に放置するケースもある。
- 存続の危機
- 現代では、冷蔵庫の普及や若い世代の忌避(グロテスク・不衛生という感覚)により、家庭での生産が減少。
- 都市部やレストランでの販売はあるものの、文化としては風前の灯火であり、急ぎ記録を残す必要がある。
報告者はチベット語学・文学の第一人者で、チベット文学の翻訳に数多く携わっています。
報告内容は、事前調査 ⇒ 実地調査 ⇒ 次回調査の計画…というフィールドワークのリアルを垣間見ることができ、とても興味深かったです。
納豆・豆鼓文化との関連や謎の虫の正体など、まだまだ分からないことも多いとのことで、今後の動向が気になりました。
腐れチーズの実際の写真も見せてもらいましたが、ウジが少し湧いているとかそういうレベルではなく、いやどう考えても食べられないだろ…くらいにわんさか蠢いていました。
虫ごとすりつぶして食べるのも衝撃です。もしかして、その昔は貴重なたんぱく源だった…?
③ 水さらしと発酵のあいだ―マレーシアの森における微生物との関係(河合文 准教授)
マレーシア半島部の森で狩猟採集生活を送る先住民族(オラン・アスリ)であるバテッの食文化を通して、意図しないものも含む発酵や熱帯の微生物との過酷な共存関係を紹介していました。
- ヤムイモの毒抜きと偶然の発酵
- バテッの主食であるヤムイモの一種ガドンは、アルカロイドやシアン化合物などの毒を含む。
- 中毒を防ぐために薄切りや細切りにし、川のよどみに数日さらして毒抜きを行う。
水さらしの過程ででんぷんや糖などが溶け出し、副次的に乳酸発酵が起きている模様。焼いて食べると強い酸味がある。
- ドリアンの発酵調味料「テンポヤク」
- バテッが遊動する地域には数年おきにドリアンが豊作になるスポットが存在する。
豊作の時期になると当該地域に滞在し、ゾウやクマと競合しながら取れる分だけ採集を行う。 - 採集したドリアンのうち、熟したものは可食部を塩と一緒に密閉容器に入れ、数日間乳酸発酵させる。
この調味料(マレー語でテンポヤク。バテッ語でasam=酸っぱい)は、発酵により強烈な臭いが芳醇な香ばしいアロマへと変化し、魚などと合わせて食される。
- バテッが遊動する地域には数年おきにドリアンが豊作になるスポットが存在する。
- 微生物との過酷な隣り合わせ
- 発酵という恩恵を受ける一方で、熱帯の森の暮らしは微生物がことさら脅威となる。
- 傷が化膿して治りにくかったり、真菌(カビなど)による深刻な皮膚病や腹痛に見舞われたりと、近年では外部からの抗生物質や駆虫薬などの支援がありつつも、常に微生物と生身で対峙する過酷な生活環境がある。
こちらは実際にバテッの人々と一定期間暮らして研究をおこなった方の報告でした。
関連する書籍も出版されているようです。

都市近郊の暮らしと比較して自然の影響をダイレクトに受ける環境で、自然発生的に発酵食品(ヤムイモの水さらし)が生まれる実例を知ることができました。
なにかの本に、オセアニアの先住民族にはクワズイモを腐るまで水にさらして食する文化があると書いてありましたが、同じ系統の食文化と言えるかもしれませんね。
私が発酵が好きな理由も、まさにこの飢えを克服するための切実な試行錯誤を追体験できるからで、その意味で興味を惹かれる内容でした。

おわりに
このワークショップを主催した「アジア・アフリカ言語文化研究所(通称「AA研」)」は、東京外国語大学の中にある研究機関で、アジア・アフリカ地域を研究する人たちにとっては有名らしいです。
専用の建物もあるのですが、多くの学生にとってはあまり縁のない機関のため、建物に入る機会は基本的にありません。
一方で、学生時代の私はひょんなことからAA研の教授を手伝うバイトをしていたため、時々建物に招かれてはテストの採点をしたり、物置的なところを片づけたり、教授のためにコーヒーを豆から挽いたりしていました。THE・雑用ですね。
AA研の中には大きなマニ車やアジア言語のタイプライターなどもあり、結構面白かったのを覚えています。

なお、ワークショップは機材トラブルで一部発表者の順番変更がありました。
私が学生の頃も、プロジェクターなどの機材がうまく動かず、授業中に大学職員が呼び出されてあれやこれや対応している様子を眺める場面がよくありましたが、そこら辺は相変わらずのようです。
外大らしいと言えば外大らしい…とも言えますが、こんな調子でデジタル化の波にすっかり飲み込まれ、藻屑となってしまわないか心配です。
何はともあれ、内容はたいへん面白く、学生時代の記憶も思い起こされる会でよかったです。
次回があったらぜひまた参加したいです。



コメント